東北関東大震災

3月11日に発生した大地震。テレビで目にする惨状を前にして、私はただもどかしさを感じる。靴の底からかゆいところを掻いているようで。私の実家(福島県猪苗代町)には80才の母親が一人暮らし。妹家族は郡山。韓国KBS テレビ取材で新潟県の苗場山から帰宅したら、11日早朝に秋田にいる妻の母(91才)死亡の知らせ。あれこれ仕事の段取りをしていたら同日の午後に地震発生。12日にようやく連絡がつき、無事との声。少し安心して13日は告別式のために秋田へ。

ところが・・・・14日に連絡したら、「なんにもない」との電話声。食料、灯油、ガソリン、そして水。さっそく、近くのスーパーで買い物をして福島県へ。新潟県では感じなかった緊迫感がひしひしと伝わる。ガソリンスタンドは長蛇の車。お店を覗くと食べ物や日用品は全くない。郡山の市街地に入ると道路のアスファルトがめくりあがり、家々の屋根の瓦が落ち、ブルーシートをかぶった屋根が目立ってくる。ブロック塀が壊れている。頻繁に走る緊急車両。あぁ、本当に大変だと実感した。新潟の地震で何度も目にした風景。荷物を届け帰りのガソリンを気にしながら帰宅した。

現地の最大の心配事は東京電力の原発事故。放射線という見えない化け物との闘い。特に妹の職場(小学校)は原発1号機から半径約30㎞。今後、深刻な状態になれば母親も妹家族も新潟につれて来るつもりだ。一日も早い被災された方々の待ったなしの救援救助と原発事故の最悪の回避を願うばかりだ。

今月27日から西穂高のガイド、4月には白馬周辺や富士山のガイドや福島市で講演会、そしてが4月25日からヒマラヤトレッキングが予定されているのだが・・・・・・・・。

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